ハッ‥‥‥ハッ‥‥‥ハッ‥‥‥
息を切らして廊下をただただひたすらに走る。
さっきまで横にいたはずの雄斗はいない。おそらく別の方向へ逃げたのだろう。
そう、逃げているのだ。そのことを再認識しつつ、頭の中でさっきのことを思い出す。
それは、始業式が終わった後のことで――
うっし、それじゃあ帰ろうぜー。
そうするか。
なぁ、久しぶりにどっか寄ってくってのは――
そんな風に、帰ろうとしていたときのことだった。
突然、後ろから肩を叩かれる。 振り返ってみれば、春崎がいた。
んぉ、どうした春崎?
ねぇ、二人とも。まさか忘れてたりしないよね?
あれ、なんか約束とかしてたっけ?
いや‥‥‥たしか無かったと思うけど。
いやに不気味な笑顔を浮かべたまま、春崎は固まった。 一瞬だけスゥッと恐ろしい気配が出ていたような感じがするが、気のせいだろう。
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥朝のこと。
朝‥‥‥。
‥‥‥あ。
そういえば言ってたな、後で説教だとかなんとか。
‥‥‥覚えてたのか、ったく。
じりじりと笑顔のままにじり寄ってくる春崎に、俺達二人は汗を流しながら後ろへずり下がる。
春崎の場合、説教と言いながら何か奢らせてくるので非常に面倒だ。あまり捕まりたくはない。
あ、わたし駅前にアイスが美味しい喫茶店ができたって聞いたんだ~。
へ、へぇ。
そ、そうなのか~。
‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥
利秋。
‥‥‥あぁ。
二人「逃げるぞっ!!」
鞄を手に取り、ドアを勢いよく開けて、二人で全力疾走を開始した。後ろは決して振り返らないようにして、前に足を伸ばす。
あ、こら待て!
後ろから聞こえる春崎の声を振り切るようにして、俺達は廊下を駆けていった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥とまぁ、こんな感じで逃亡を開始したわけだ。
気づけば、部活棟と校舎を繋ぐ渡り廊下まで来ていた。春崎が来ている感じはない。
‥‥‥なんとか逃げおおせたか。
はぁ。
ここまでずっと走ってきたせいで、体が重い。膝に手をついて、息を深く吐いたとは、ゆっくりと歩きだす。
まだ学校も始まったばかりだからか、この廊下を通る人間はあまりいないようだ。人気がまるでない。
一応、部活棟と校舎が繋がっている廊下は上にもあるが、一階のほうは一部の運動系部活が更衣室なんかに使っているために繋げてあるらしい。
部活棟の扉に手を伸ばす。開けようとしてみるが、ガタガタいうだけで開きそうもない。鍵がかかっているらしい。
戻るしかないかな、これ。
後ろを振り返る。多分まだ春崎は中を探し回っているんだろうと思うと、ため息が出た。猟師が探し回ってる中に戻りたがる獲物はいない。
‥‥‥‥‥‥
よし。しばらくここに潜伏しよう。
どうせ人は通らないんだ。 春崎が来るとも思えないし、少しの間ここで休むのがいいだろう。
開かない部室棟のドアによりかかる。かすかにギィ、という音が聞こえたが、やはり扉は開かない。
‥‥‥何もないな。
喧騒も、自然の音も聞こえない。 匂いなんてものも、何一つあったりしない。
そよ風が、頬を撫でた。
静寂。
その空虚な世界に、浸ってしまったのだろうか。
頭の中で、何度も響き、跳ね返ってくる言葉があった。
‥‥‥世界はどうしてこんなにも狭苦しいだけなのか、か。
いつからか、知らぬ間に聞こえてきた言葉。いつまでか、一蹴していた言葉。またいつからか、心に響いていた言葉。
馬鹿げている――そうとだけ思って、考えてこなかったのは途中までだった。この言葉に賛同する気持ちが、自分の中にもあったようだ。
それは更に主張を続けた。 世界は空虚で、何もありはしない。生き苦しく、ただ歩ききれないだけの無駄に満ち溢れている。
お前が住んでいるのはそんな世界だ、双葉利秋――
どこの宗教で謳われるような言葉だよ、これ。
‥‥‥‥‥‥‥
またしても、風が頬に触れる。 今度は一人でツッコんでいる俺の空しさを心に強く感じさせた。
‥‥‥早い話がつまり。
(‥‥‥)
(‥‥‥恥ずかしいぃー!)
頭を抱えて先ほどのことを忘れようとする。こんな、後々で恥の多い生涯を送ってきたと振り返るときに1ページ目に出てきそうな記憶は真っ先に処理すべきだ。
そうして頭を振り回しているところに――
‥‥‥あなた、そこで何をしてるの?
え?
横から知らない誰かの声がして、思わず間抜けな声を上げながらそちらを見た。
そこにいたのは、知らない女の子だった。
まとめ上げられた長い髪には艶があり、たたずまいにだらしないところもほとんど見られない。凛としている、というのが似合うような綺麗な女の子だ。
彼女は奇妙なものを見る目をこちらに向けながら、口を開いた。
え? じゃないでしょ。 そんな場所に突っ立って頭を振り回してるなんて、変人みたいよ。
う‥‥‥今の、見てたの?
見てたというか見せられたというか、とにかく部室棟のほうに入ろうとここに来たら変な男が入り口前で奇妙奇天烈な動きをしてたところに遭遇しただけよ。
決して自分から見たわけじゃないわ。
‥‥‥ごめんなさい。
謝られても‥‥‥とりあえず、私は鍵を開けるから、そこをどいてくれる?
謝るよりも先に、こくりと頷いてから体を扉の前から動かす。
彼女はポケットからカギ束を取り出すと、小慣れた動きで鍵を開けていく。その際にちらりと学年をあらわす上履きを見てみると、彼女は俺と同じ学年だった。
(二年生にもこんな子がいたのか‥‥‥)
春崎や雄斗とばかりつるんできたからか、知らないことも多いのだなと妙に悔しいような思いをしていると、何かが一気に外れる音が聞こえた。
どうやら扉が開いたようだ。 女の子は若干訝しげな顔を向けながら、俺に聞いてきた。
‥‥‥あなたも中に入るの?
い、いや、俺は‥‥‥
まずいな。ここで中に入らないと言ったらただの「開かないドアの前で頭を振り回す変態」と彼女に思われるだろう。それは嫌だ、あまりに悲惨な認識すぎる。
だが、入ったところで何ができるというのだ。どこかの部に在籍してるというわけでもなし、匿ってくれるような知り合いも‥‥‥
‥‥‥いや、待て? いい考えではないが、策はあるな。とりあえず目の前の女の子の顔を少しだけ見つめてから、俺はそれを実行することにした。
? どうかした?
いや。それより俺はな――君の部活を、見学させてほしいんだ。
――はぁ?
そう。これが俺の策。袖触れ合うだけでも世の情け作戦だ。別名逃げる者は旅する一家にも頼る作戦といってもいい。
要するところ、秘密裏の時間稼ぎに利用させてください!というだけの実も蓋もついでに恥も無い作戦なのであった。
目の前の女の子だって、ここに来たということはなにかの部活に所属してるはずだ。なら見学自体はなんら不思議なところはない。
女の子はそんな俺の真意を知らないで、訝しげな顔をさらに不可思議そうにして、なぜ? と言いたげな様子だ。
えぇっと。その、まずはあなたに聞きたいのだけど‥‥‥うち、刀剣部よ? 特にスポーツとかもしないし文化祭にも何か出したりしないし私一人しかいないし。
‥‥‥聞いたことも無い部活だが、まあいい。今必要なのは、確実な逃げ場所だ。
それでもいい! 刀剣部の活動がどんなものなのかだけでも見たいんだ! 頼む!
頭を思い切り下げて、彼女に頼み込む。顔は見えないが、思案してくれているのだろう。それなりの時間が流れたと思ったところで、ようやく――
‥‥‥まぁ、そこまで言うのなら。 ついてきなさい。
! ありがとう!
まだ若干怪しんでいるような顔だが、入れてもらえるだけでもありがたい。部室棟の中へ進んでいく彼女の後ろについていきながら、俺は喜びをかみしめる。
そして同時に、企みが成功したということをばれないようにしながらほくそ笑んだ。
ここよ。
四階建ての部室棟の三階にその部屋はあった。まず目を疑ったのは、ここだけがなぜか他の部屋と違い畳張りになっていることだ。
しかし、中を更に見回すとそれ以上に目を疑いたくなるものが多く存在していた。
壁や急ごしらえで立てつかられているような棚に置かれている刀剣らしきものの数々。本物の刃ではないだろうが、それでも物々しさは隠せない。
結構気圧されているみたいね。 とりあえず、そこの机の前にでも座ってなさい。
あ、ああ‥‥‥分かった。
言われたままに畳の上で胡坐をかく。 不躾にこの高さから女の子の脚を見ているわけにもいかないので周囲にある剣を眺めることにした。
刀身に反りがあるものや、穴のようなものが開いている奇妙な剣。それらももちろん気になるのだが、唯一名前がわかるだけに興味を引かれるものがある。
刀だ。マンガなんかにもよく出てくる、外国の方々も大好きなあれである。
それの模造品が目の前にある。そのシンプルな形状がまた美しい、とはよく聞く。それは偽物のこれでもなんとなくわかる。だからだろう。
身をそちらに近づけて、ゆっくりと手を――
危ないっ!!
うおっ!?
突然の大声に伸ばしていた手が素早く引っ込んでしまう。そちらの方に目をやると、そこには茶道で使うような椀を両手に持った女の子が。
しかし鼻を鳴らしてふふん、とでも言いたげなドヤ顔だ。緊迫の色なぞまるでない。そこから察せるのは一つ。
‥‥‥お前‥‥‥。
まぁ、いいじゃない、ちょっとぐらい遊んだって。 それよりはい、どうぞ。
楽しそうな顔をしている女の子は、俺の目の前に手に持った椀を置いた。ほのかに湯気が立ち上ったそれの中身を見てみると、やはりお茶だ。
しかし普通ならこれに入れて飲むようなものではなく、完全に出来上がってる状態の緑茶に見える。
‥‥‥普通の湯飲みとか、無いのか?
ん? ここ、元々茶道部だったのをそのまま使ってるのよ。だから残してあったそれを使わせてもらってるの。
なるほど、畳なのもそれが理由か。ようやく納得がいったとともに、少し落胆する。つまりそれは――
‥‥‥これ以外に無いってことか‥‥‥。
正解。
会話もそこそこに打ち切り、女の子はその巨大な湯飲みもどきからお茶をすする。自分もこれ以上の無駄な抗議はあきらめよう。
‥‥‥ススッ。
普通だな。
パックに入ってた粉末をお湯に入れただけだから、当然ね。
入れ物と比べてかなりのショボさだな。
むしろこれが大仰過ぎるんじゃないかしら?
なるほど、その通りだな。
ハッハッハ、とまったく抑揚のない笑い声を二人して上げた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ってぇ、なんだこの空気はぁー!?
ちょっと、あまり大きい声出さないでよ。
非難するような目でそう言われてしまった。心に痛い。
す、すまん‥‥‥
だ、だけどなんでこうもまったりとした空気になってるんだよ!?
それはほら、あれよ。
――緑茶の、魔力?
なるほど、それもそのとお‥‥‥ってまた言いそうになりやがった!魔力というか意識を無理やりいじられてる気分だぞ!?
というか、なんでお茶を飲んでるんだ俺達は!
そんなの、今日は活動なんてないからに決まってるじゃない。
‥‥‥は?
活動‥‥‥ない?
そ。今日はどこも‥‥‥あ、新入生の歓迎だかで軽音楽部は音楽室のほうを使わせてもらってるみたいだけど、基本的にどこも休みよ。
そ、それならなんでおま‥‥‥いや、君はここに。
私はここにちょっと用があったから、職員室まで行って鍵を借りてきたのよ。
それでここに来たら、嘘をついてまで中に入ろうとしてる男子に会ってこうしてもてなしてるってわけ。
‥‥‥気付いてたのか。
まぁ、普通は休みだって知ってるはずだからねぇ。普段はなにか部活に関わってるわけじゃないってのも、ここに用があるはずもないってのもすぐ分かったわ。
なんともつらつらと推理の内容を語ってくれる女の子に、俺は申し訳ないという気持ちがわく。
気付かせておきながら、お茶まで出させてしまったのだ。あまり褒められたものではない。
ごめん。
まあいいわよ。私も久しぶりに楽しく話せたし。
ちょっと怪しい素振りを見せたら先生とかに突き出すところだったけど、そんなところもなかったしね。
ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。
‥‥‥じゃあ、俺はこれで。
いたたまれなさに焦る気持ちが加わり、やや体勢を崩しながらも立ち上がってここから去ろうと、戸に近づく。
あ、ちょっと待ちなさい。
‥‥‥なに?
名前、教えなさい。 私は夏目圭(なつめ けい)。
双葉利秋。それがどうかしたか?
双葉、敬語はやめていいからたまにはここに遊びに来てもいいわよ。お茶くらいは出すから。
‥‥‥そうか。ありがとな、夏目。それじゃあ、また。
それじゃあね。
なんともないようなさっぱりとした顔で見送る夏目を見てから、俺はこの和室の扉を閉じた。
ヒロイン三人を出すだけでも時間がかかる……だと……!?
というわけで今回も舞台裏、「すげぇ……あのダンボール、一ヶ月何もなかったのにこれだけしか書いてないでいやがる……!」スペシャルです
というか一月あいてるんですね。
その節に関してはいいたいこともあるけれど、謝罪だけでお許しください。次は報告。
ルート書くヒロイン、一人増えました。 ある意味ファンタジーな風味だけどバトルとかそういうのは無いものです。
長引いても鬱陶しいでしょうからこの辺で。それでは!