チュンチュン……
外から心地の良い雀の鳴き声とカーテンの隙間から差し込む朝日で俺は目を覚ました。
「ん……しょっと」
俺はむくりと上半身を起こし、頭をボリボリと掻く。 目覚まし時計を手にとって見ると、現在時刻8時半。
「……ふぅ」 俺はのそのそとベッドから這い出ると、壁にかかった日めくりカレンダーを一枚剥がす。
目に映るのは赤い数字の日付。そう、今日は日曜日だ。
平日ならこの時刻に起床というのは遅刻不可避ものだが、休日ともあれば問題はない。むしろ早すぎなくらいだ。
せっかく出し二度寝でもかまそうかと思ったが、昨夜11時ごろに就寝し、軽く9時間も寝た今の俺にそれは難しいようである。
「しゃあない、起きるか」 俺は寝間着のまま階下に降りて適当に朝食をとるべく自室のドアを開けようとノブに手をかけた時――
――ズドン! と、向こう側から盛大にドアがぶち開けられ、俺は片足の指と額に強烈な打撃ダメージを負った。
「っつぅ!」 俺は激痛に耐え切れず、バランスを崩して床に尻餅をついた。
一体何が起きた!? 俺は額と片足をさすりながら呻きつつ状況を確認する。 すると。
「あ、ぶつかっちゃった?」
きょとんとした表情で部屋の外から俺を見下ろしているのは年齢10歳位の女の子だった。
「て、テメエ……いきなり何しやがる」
俺はその少女を憎々しげに睨みつけて抗議した。
「いや、悪いのはお兄ちゃんでしょ。そんなドアの前に立ってたら誰かが開けた時嫌でもぶつかるっしょ?」
だが無邪気な笑顔を浮かべて悪びれない様子で少女は返す。
お兄ちゃん……とこいつが俺をそう呼んでいたことからわかると思うが、彼女は俺の妹である。
名前をシューインといい、血の繋がった実の妹ではないのだが……その辺の事情は非常に複雑なので説明は省く。
「俺が俺の部屋のどこに経ってようが勝手だ! てか人の部屋に入るんならノックせよノック!」
「はぁ?何であたしの部屋にはいるのにわざわざノックなんてしなきゃならないのよ?」
「……は?」 聞き間違いだろうか、今この人「あたしの部屋」とか言わなかったか?
言っておくがこの場所は迷うことなき俺の自室だ。別に妹と部屋を共有してるわけでもなければ妹の部屋に入り込んでいる変態でもない。
正真正銘俺だけに与えられた空間なわけだが、その所有権をこいつに渡した覚えはないんだがなぁ。
「えー何言ってんの?この家のすべての部屋はあたしのものだよ♪」
さらっとそう言う妹。 聞いたかおい、この部屋どころかこの家の主を名乗りだしたよこの娘。 いきなり何なんだこいつは。
「ほら、あたしの部屋ってこの家で一番狭いじゃない?」
「まぁそうだな」 確か6畳くらいだったか。まぁ小学生の個室なんて寝床と机があれば十分だとは思うが。
「でもさぁ、こないだ他の同級生の子の家に遊び行ったらすごく広くて、あたしのところの倍はあってびっくりしたの」
「……で?」
「あまりにも羨ましかったんで、昨日ママにお兄ちゃんの部屋とあたしの部屋取っ替えてもらうように頼んだんだけど」
「何本人の了解も得ずに勝手に家庭内引っ越し企ててんだよオイ!」
「うるさいなぁ。もちろんダメって言われたよ。『あの子はあそこしか居場所がないからせめて少しでも広い部屋にいさせてあげなさい』って」
断ってくれたのはありがたいがなんか腑に落ちない言い分だなおふくろさんよ。
「それで、何でそこからこの家全部がお前のものになってんだよ」
「うん、よくよく考えたら別にどこを自分の部屋にしようが他人の許可なんか必要ないんじゃないかって思ってさ」
「……は?」
「だって家族じゃん?一つ屋根の下で暮らしてるわけじゃん?同じ釜の飯食べてるわけじゃん?なら他人みたく面倒な手続きすることないじゃん?」
んんー?ちょっと途中から理屈がおかしくなってきてるぞ―?
「だから今日からこの家の部屋全部をあたしのものだって密かに思ってても構わないよね!」
「……」
ツッコミどころは多々あるが、とりあえず公言してる時点で密かじゃねぇということを一番言いたい俺。
「だからこのお兄ちゃんの部屋もあたしン中ではあたしのもの!よってノックなんかする必要ないわけ!」
厚顔無恥も甚だしいなこのやろう。 「お前がそう思うならそうなんだろう、お前ん中ではな」っていう台詞が効かないのが余計腹立つ。
「あ、言っておくけどお兄ちゃんにそれを邪魔する権利はないよ♡なぜなら……」
「日本人には『思想の自由』がきっちりと保障されているからなのだー!あははははは!」
「頭ん中で思うのとそれを実行に移すのとは次元が違うんだよアホ!」
俺は怒鳴るが妹はキャッキャとはしゃいでいて完全に聞いてないことがまるわかり。
「じゃあ俺にも思想の自由があるな。いいか、この部屋は俺のもので俺以外の誰のものでもない。そう思ったっていいってことだよなぁ?」
俺は凄みを利かせて彼女に詰め寄る。これ以上こいつの流れに乗せられてたまるか。
「別にいいけどあたしが知ったことじゃないもん。あたしは誰がなんて言おうがこの家の支配者だって思ってるから好き勝手させてもらうわ」
ダメだ全然通じてない。ムキになってる俺が馬鹿なのか。受け流せばいいことだが、今後どんな被害が出るかわかったもんじゃない。
「んー?どったのお兄ちゃん?」
「別に、お前と付き合ってると頭痛がするなと思ってただけだ」
「そっかぁ。きっと支配者に逆らったからバチが当たったんだろうね!ざまみろ♡」
……こいつが妹じゃなく兄か弟だったら躊躇なくその鼻っ面にストレートをぶち込んでいただろうと俺は思った。
「……で、何の用だよこんな朝っぱらから」
俺が諦めて立ち上がり、そう訊くと妹はハッと思い出したような表情をして、
「うおっと、忘れてた!お兄ちゃん!今すぐこの部屋出てって!」
「出てって、じゃねーよ!何だ藪から棒に!俺はお前の支配なんかに屈しね―からな」
「はぁまだそんなおふざけネタ引きずってんの?馬鹿なの?普通の人なら軽く受け流して終わりだよ?」
ムゥゥカァァァツゥゥゥクゥゥゥ! こいつは人をおちょくることに関しては天才的だな!
「支配者ごっこが終わってんならなおさらだ。何で俺がお前に自室を追い出されなきゃならん」
「今日友達がくるの!一緒にここで遊ぶ約束してたの思い出して」
「……はぁ?」
友達を招待するのはいいが、どうしてそこで「部屋出てって」なんだよ。普通は「部屋から出てこないで」とか言うんじゃないのか?
「だーから言ったでしょ。あたしはこの家の支配者なの」
結局お前自身がまだ引きずってるやないかい!……というツッコミはもう面倒なのでやめた。
「……で?」
「いやだから、こないだ友達の家行った時それぞれ自分の部屋はどんな感じかって話になって……」
「……」
嫌な予感しかしない。
「そんで……皆の前でお兄ちゃんの部屋くらいの大きさって言っちゃってさ」
うっわー。予想通り見栄っ張りがバレるから口裏合わせろ的な毎度おなじみお約束展開だー。
「……で、その話を聞いた友達が今日やってくると?」 そう尋ねると妹は無言で頷いた。
「今更嘘だなんて言えないし、バレたら赤っ恥もいいとこだし。だからこうするしかないの。ってわけで出てって。はやく」
何故そうも上から目線なんだ君は。 協力してやらなくもないと一瞬思ってたが早くもその気が失せたわ。
「だーから言ってるでしょ!今日からあたしはこの家の支配者……」
「あーもうわかったよ!わかったから!出てけばいいんだろ出てけば!」
「はいよろしい。その代わりその間あたしの部屋使っていいから」
意地でも使うか。と俺は即答。 何で小学生の部屋に俺が閉じこもってなきゃならんのだ。
「わかってると思うけど、友達に余計なこと喋ったらこの部屋永久にあたしのもんだからね」
「わーってるよ」 俺がそう投げやりに言うと不意に玄関のチャイムが鳴った。
「うわヤバイもう来た!ってなわけだからお兄ちゃん!さっさとこの世から……じゃない、この部屋から身を引くのよ!」
今さらっと「死ね」みたいな意味合いの言葉が聞こえたが気のせいだと信じたい。
俺は釈然としない気持ちを抑えつつ、妹に促されるままに自室を出た。
ピンポーン、ピンポーン。
「はいはい今開けるって!」
妹が慌ただしく玄関の戸を開ける。 するとそこには……。
「お、おはようシューインちゃん」
現れたのはショートボブの髪型をした彼女と同年代の健気そうな少女であった。
「あはは、おはよー愛呂」
それに対して明るく出迎える妹。 その顔が少し引きつっているのに相手は気づいていないようだ。
「なんだ、友達って愛呂のことだったのか」
「ふぇ!? て、天童さん!?」
俺の存在に気づいた途端、彼女は大仰なリアクションをしてみせた。
補足しておくが、天童というのは俺の苗字、そして愛呂というのがこの少女の名前だ。
以前ひょんなことで俺と彼女は知り合ってちょっと不思議な事件に巻き込まれたりした仲なのだが、これもさして重要なことではないので略す
「ちょ、シューインちゃん……天童さんがいるなんて聞いてないよ~」
愛呂は何故か顔を赤く染めて妹に擦り寄った。
「あー心配いらないよ愛呂。どうせこの人すぐに家から追っ払うつもりでいたから」
おめーをこの家から永久追放してやろーかバカ妹。
「ていうかお兄ちゃんいつまでいるつもり?友達来てんだから自分の部屋戻るか外でぶらつくか早くしてくんない?」
のやろぉ……部屋貸してもらってる分際で偉そうに……。
「あ、あの……別に私は平気ですよ。おじゃましてるのはこっちですし」
慌ててそう言う妹とは対照的な愛呂の態度が俺のイライラを中和していく。
「あー、いいよいいよ、気にしなくて。言われんでもどのみち出ていくつもりだったしな」
俺がぶっきらぼうに手をひらひらさせながら言うと、愛呂は少し残念そうな表情で、
「い、いえ。でも……私が来たせいで天童さんを追い出してしまうっていうのはいたたまれないというか……気が落ち着かないというか……」
ほんまいい子やなぁ。感心するよホント。うちの妹に欲しいくらいだ。 あ?現妹?どうでもいいっす。
「あ、あのっ!良ければ天童さんも一緒に遊びませんか!?」
「ファッ!?ちょっと何言ってんの愛呂!?」
突拍子もないことを言い出す愛呂とそれに驚くシューイン。
「ほ、ほら……二人で遊ぶよりきっと三人の方が楽しいと思うし……いろんな遊びもできるようになるんじゃないかなと思って……」
まぁたしかにそうだな。例えばババ抜きとか……ババ抜きとか……あれ思いつかねぇや。
「ど、どうかな?差し出がましいとは思うけど……シューインちゃんと天童さんさえ良ければ……」
「うう……そっか……うーん」
「俺は別にそれでもいいぞ」
「ちょ、お兄ちゃん!何言って……」
「別にいいだろ?『お前の部屋』は広いんだから」
「……あ」
きょとんとした表情の妹。 策士策に溺れるとはこのことか。 俺は心のなかで嘲笑した。
「ちっ……まぁ……それでも別にいいけど」
観念したらしい妹は不機嫌そうに友人の願い出を了承した。
「ホント?よかったぁ」
ぱぁぁ、とした晴れやかな笑顔で愛呂は胸を躍らせている。
何かこの喜びっぷりを見ると、こいつ妹と二人なのが嫌なんじゃないかと邪推してしまう。
まぁこいつは今までの流れから見ても分かる通り年上も黙るマセガキだからな。きっとこの子も付き合いに苦労してんだろうな。うん。
「えとえと……じゃあ早速お部屋で遊ぼっか」
「え?……あ、ああうん……そだね」
「……ちっ」
俺にだけ聞こえるような音量で舌打ちをすると妹は愛呂の手を引いてさっさと階上へ上がっていった。
カウンター成功だな。 俺は少しだけしっぺ返しを食らわせてやったことに満足した。
さて、お菓子とジュースでも持っていってやるかな。
そう思って先にリビングの方へと向かおうとした矢先。
ピンポーン。 再びチャイムが鳴った。
何だ、まだ友達が来る予定だったのかな? そう思って俺は何気なくサンダルを履いて玄関の戸を開けた。
「あらおはよう」
俺の体が一瞬にして凍りついた。
玄関先にいたのは長い黒髪に魅惑的な顔と体つきをした文字通り「美人」としか言いようのない少女。
年は満16歳の俺と大して変わらない風貌。ラフな私服に身を包んで立っていた。
「こんな所で会うなんて奇遇ね」
人の家を訪ねてその家の住人と会うのが果たして奇遇と言えるのだろうかいや言えないだろう(反語)
何となく鼻にかけたようなものいいをしているこの少女。俺はこいつを知っている。いやというほど。
思えばここ最近の俺の周囲の出来事に一番深く関わっているのはこいつかもしれない。まぁ今はそんなことどうでもいいけど。
彼女の名前は魔鬼羅殺女(まきらあやめ)ペンネームでもハンドルネームでもなく、れっきとした本名である。
同じ学校の一年先輩。いつも何かにつけて俺に絡んでくるが、まさか自宅突撃までしかけてくるとは……。
「何の用だ?」
「あら、用がなくちゃ人の家に勝手に上がり込んじゃいけないのかしら?」
あのね、そういうのはね、世間一般ではね、不法侵入って言うのよ。わかる?
「まぁ別に私があなたの家に上がり込むでも、あなたを家から引きずり出すのとでもどちらでも私は構わないわよ?」
「二択を選ばせる前に用件を言ええええぇ!」
「そりゃもちろん、あなたが幼女二人を部屋に連れ込もうとしてるのをカメラで確認したからすぐに自転車走らせて……」
「は?」
「ごほん、いえ……ただ単に暇だったからドリンクバーで5時間ほど居座ってやろうかと思って来ただけよ」
「俺の家はファミレスじゃねぇよ!ドリンクも頼まれたとしても出さねぇから!水道水でも飲んでろ!」
「そう、なら水道水一杯で5時間居座ることにするわ」
うっわー、意地でも上がりこむ気だー。なんでよりによって俺の家なんだよ……。
穏やかな俺の休日が早くも崩壊の序曲を奏で始めている。 そう気づいた俺はガックシと肩を落とした。
後半に続く可能性が微レ存。