終末って何してると思う?
僕はね、世界が終わる日は大好きなツナサンドを食べているだろうね。それもチェダーチーズを多くかけた。
世界が終わる日だっての大好きな物が食べられるのかしら
食べられるよ。日本人が毎朝米を食べるように、僕は毎朝ヴァージンオイルをかけたツナサンドを食べる。
気分がのったら、インスタントコーヒもいれるもいいね。
食後には贅沢に海外から寄せたウィンストンに火をつけて一服をして優雅な一日の始まりさ。
要するに、僕は世界が明日終わろうが今日終わろうが変わらない毎日をすごす。
親切に明日、世界が滅ぶなんて説明されようと僕はいつもと同じ日を生きるだけなのさ
だけど、淋しくない? 最後まで同じことの繰り返しの人生なんて。
そうはいわれても、この世の生物はみんなそうだろ。
むしろ人間はとても恵まれている そう思わないかい?
どうして?
人間はさ、自分で死ぬ日を決められる唯一の生き物なんだ。
生がすべてのものに与えられたものなら、死は知恵をもった人間だけに与えられた特別な救済処置さ、
だからといって、健康な人間が死を選ぶことはいいこと?
そうだね、その通りだ。
死は崇高なものなんかじゃない。
だけど、今日も、明日も誰かの人生は幕を閉じている。カレンダーをみてご覧よ。
明日も明後日も、どこもかしこも誰かの世界が終わる記念日だ。
面白い考えをするのね。
ありがとう
それと、僕はさっき、死を選べるといったけどそれは少し違う、
人間にだけは心にも寿命がある。
精神が病めば人は、肉体もやがて、高貴な魂も滅ぶのさ。
まるで、その日を迎える人間はカレンダーに予定を書き込むように遺書を書くもんだから、死が与えられているような錯覚を覚えるのさ。
いくつもの命が消えて補うかのように人は生まれている
人間は、神様の絵画のキャンバスのようなものさ、
限りなく透明な白の余白があるうちは美しい
赤や青、色をのせてもまだ美しい、だけど、やがて空白はなくなる。
それまでは、原色をおき彩っていた世界は平行も奥行も失い、足場を失う。
汚れる、歪な青はやがて群青となり黄を乗せて一筋の光明を演出するも赤が乗ってしまい世界は黒く潰れる。
黒になってしまったらもう、どうしようもない、神様は嫌になり投げ捨て新しいキャンパスを出す。
まるで、死ぬ人と生まれる人が入れ替わるように。
真白は初めからやりなおさないと生み出せないから、しようがないなんていいそうさ
バカバカしいだろ?こんな世界
いってる意味がわかんないや。
難しく考えるなよ。
僕は今日もツナサンドを食べる。 スライスしたトマトなんかをのせてみて 変化を加えてみるのも素晴らしいものさ。
それでいいじゃないか
君も難しいこと考えずに食事を楽しもう
好きな食べ物に素敵な女性、インテリアの隙間彩ってくれるストロークスの 陽気な音楽があれば人間はいつだって死んでも問題ない。
人の一生なんてそんなもんさ。