時は定かではなく、
とある国の、とある街に 一人の男と少女がおりました。
男は資本家。 紡績業を営んでおりまして、 とても裕福です。
少女は奴隷。 男が『買った』奴隷です。
雇った側と買われた側の関係。 しかし、二人はその境さえ超え、
家族にさえ近い関係となりました。 男には正妻がいるというのに。
うむ、今日も目覚めの良い朝だね。 そう思わんかね、メアリー。
男は少女に『メアリー』という 名前を付けました。
そうですね…
この少女の柔らかな笑み、 それは男が少女を買った 理由でもあった。
……ん?
男が時計をみれば既に 時計の針は十一時を回った頃で…
ノーーン!!!!
ま、いつものことか。
一応、 六時に起こしたのですけれど…
大丈夫、大丈夫!! お前は何にも悪くないんだから! そうやって気まずそうにすんなや!
そういいながら男が 少し乱暴に少女の頭を撫でる。
そうすると 少女は安心して男を送り出せる。
じゃ、行ってくるぜッ!
いってらっしゃいませ〜
うはぁ〜ッ!! 寒いィ!!
まったく、 なんで二月はこんなに寒いんだ!
俺のアイアンハートが 冷めちまうぜ!
おーいみんなー サボってねぇだろうなー アァん?(棒読み)
あの、今日給料日なんですけど…
この薄暗い環境で過酷な労働を させられていたこの少年は、 視力が落ちたため眼鏡をかけている
……はい、今月分の給料ね
ありがとうございます……
少年は中身を確認し、 露骨に怪訝な顔をして 仕事場へ戻っていった。
この仕事も、 もう長くは続かないかもしれんな…
その頃少女は
昼食や夕食の買い出しへ 出かけていました。
そこのお客さん! このチョコレートはいかがかな?
チョコレート?
そろそろ二月十四日だろ? その日はバレンタインって言って、
自分の好きな人に 好意の印にチョコレートを渡すんだ
買うなら今だよ!!
………いくらですか?
お代はねぇ………
そして二月十四日…
た、大変です!ご主人様!
ん?どうしたんだい?
暖炉から火が……!
ウワァァッ!!!
メアリー!! 外に出るんだ!早く!
二人は急いで家を出ました。
メアリー…
は、はい、なんでしょうか
俺は消防士さんを呼んでくる。
……お前はここで、 俺が帰ってくるまで待っていてくれ
………わかりました。 私は、絶対にここを離れません。
男は走り出した
火事で大騒ぎになった町。
そこで水を積んだ手押し車が 男たちの家へ向かっています。
手押し車を引いているのは あの少年です。
……!!!
次の瞬間、互いに急いでいた 男と少年は激しくぶつかり、
少年は男を轢いてしまいました。
ぼ、僕は…… 僕は悪くなんかない!!!
少女は待ち続けました。
混乱する町の中、 ただただ待っていました。
轢かれた男はもう帰ってきません。
少女は待ち続けました。
待ち続けて、 待ち続けて、 待ち続けて、
何日も経ちました。 けれど少女はその場を離れない。
胸には、 男へ渡すはずのチョコレート。
小包に控えめな 小さなリボンの包装。
それはもう ぐしゃぐしゃになっていました。
それからまた数日が経ち、 少女は倒れてしまいました。
とても美しい、 遺体とは思えぬほどの体。
少女は微笑んでいました。 その胸に小さな小包を抱いて。