二時間目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。
高校の古典はひどく退屈な授業だ。
中学の時はみんなで音読したり、思い浮かぶ情景について話し合ったり、登場人物の心情にせまったりと、
現代の物語のように読む授業が中心で楽しかったのに。
全く高校古典のこの体たらくはいったいなんなのだろうか。暗号解読士でも育てるつもりなのだろうか。
そんな暗号も、旧家の出である私にかかれば日常的に接する言葉ばかりなので、
まるで「いろはうた」を一から懇切丁寧に勉強している気分になる。
寿限無でも唱えていた方がはるかにマシだ。
はーい、ではこの部分の訳を・・・トンくんにやってもらおうかな。
はいはーい。
えーっと・・・。
「人の噂話をしているのを怒る人って気に入らない。どうしてしないでいられようか。」
「自分を棚上げして、こんなに言いつのってしまう程のものはないではないか。」
はーい、そこまでー。
へー。この段とはまた印象に残りやすい部分を・・・。
もちろん、古典の授業がつまらないのはハクト先生のせいじゃない。
むしろ先生は古典の面白さを伝えるために、色んな工夫をしている。
今回取り上げている所「枕草子第二百五十二段」を選ぶ才覚はハクト先生以外には無い。
ここの内容をおおまかに要約すれば、
「噂話サイッコー超楽しい! 文句つけてくる連中はなんなの? 自分はしてないとでも言いたいの?」
「しないではいられないわ。自分が親しい人の噂だったら少しは遠慮しようって思うけど」
「そうでなかったら大笑いで参加してやるわ!!」
という、あぁ、知的生命体は千年経っても何にも変わらないんだな、と思わされる内容である。
生徒の大半は、古典なんて別世界からやってきた書物だって思ってる。
でも私にしてみれば、内容は今も出版されている本となんらかわりは無いのだ。
えーっと・・・
「しかし感心できないことでもある。あと勝手に相手の耳に入った時困る。」
「あとそんなに嫌いになれない人の話だったら許してあげて、あまりしゃべらないようにする」
「そうでなかったら、すごく喜んで参加してしまうだろう」
私は「枕草子」よりも「徒然草」の方が断然好きだ。
あれは当時の為になる話、面白い話が集められているだけあって、現代にも通じる普遍的な面白さがある。
かれこれ五回は通読している。
枕草子は挑戦するたびに飽きて寝ちゃうんだけど・・・。
一方で、清少納言が一方的にライバル視している紫式部の「源氏物語」はオススメだ。
主人公、光源氏の万能っぷりがひどく笑えるし、出てくる女性は魅力的。
当時の様子を楽しみながら知るには格好の娯楽小説だと思う。
方丈記も当時の自然災害とかを書いていて記録物としてドキドキしながら読めるのでオススメだ。
はい、では訳してもらったんだけど、みんなこれどう思う?
えーっと、熊くん。
うーん、何と言うか、普通にゲスいと思います。
ドッ!
<確かにー。 ゲスいワロタw> <でも今もよくあるよね? <ナゴンの気持ち分かるわー。
うん、そうだね。ゲスいね。あと清少・納言じゃなくて清・少納言な。
さらに感想ある人いる?
はーい。
ではアマガくん。
いやー、昔も今も変わらんのですなー、としみじみとさせられました。あぁ、昔の人とは言うけれど、千年の時を経て身に付いたのは精神の贅肉だけなのか。自然を破壊し文明社会に耽溺する我々と果たしてどちらがましか・・・。今こそ歴史に学びよりより生活を送るように心掛けるべきだと・・・
<なげーよ! <うん まとめてからしゃべれよ!>
そう言う君達はどう思うのだ!
ガヤガヤガヤ・・・
ハッ、しまった。物思いにふけり過ぎて授業の流れにすっかり置いていかれてしまっている。
私は隣の熊くんのノートをのぞきこんで、授業がどこまで進んだか密かに確認する。
どうやら「第二百五十二段」の感想をみんなで確認する時間のようだ。
おやおや、みんな話したいことがたくさんあるようだね。
では班ごとに集まって、この段の感想をお互いに交換しあってください。
どのような意見が出たのかをワークシートに書きこんで提出です。いいですかー?
はーい。
さて机を動かさなくては・・・。
ヨイショ・・・
っと
もー、ハクトンの古典ってマジ楽なんだけどー!
あぁ、万千隅(まちずみ)さんが毎日日記をつけたら現代版「枕草子」ができそうだ・・・。
もぉ適当に書いて後はダベろうよー。
アオネちゃん、それは止めた方がいいよ! ハクト先生、あれで何気に授業態度とかチェックしてるから!
うっそーん、まじでー? ハクトン意外とスパルター?
ボクはハクト先生はすごく面白いと思うけどなあ。こんな古典の授業受けたことないし。
今年はハクト先生にあたって良かったと思うよ。
熊くんの言うことには、複雑だが同意しなくてはならない。
正直、私は古典の先生方からは嫌われているのだ。いや、遠巻きにされていると言うべきか。
ハクト先生だけが普通に接してくれる。
ハクト先生の言を借りれば、私、ひいては私の家は、生きる古典そのものということらしい。
生まれた直後から古典に接してきた私と、中学で初めて古典に接した教師。
あんまり邪推したくないけど、先生方は私の前で先生でなくなるのを恐れているのではないだろうか。
そんなこと気にしなくていいのに。先生方には私にはない経験というものがあるじゃないか。
コンちゃん、どうしたの?
え、
あ、うん! 聞いてたよ!
絶対聞いてなかったね。
中山中(なかやまなか)さんってー、あんがぃー、授業とかマジメに聞かないタイプぅー?
めっちゃ新発見なんですけどぉー!
え、えへへ・・・。
い、今はね、感想をお互いに交換して、ワークシートに書く時間なんだよ。
う、うん、ありがとう・・・。
もうみんな感想交換したから、あとはコンちゃんだけだよ。
え?
あっ! 私全然感想書いてない!
・・・どうしたの? 気分悪いの?
ちょっと熊っちー! 女子にわぁ、そういう日もあるのぉ。デリカシーないのぉ?
そういうこと普通に言っちゃうアオネちゃんもデリカシーは無いよね。
アカネちゃん、きーつーいー。
えっとね、私、大丈夫だから。ごめんね。
うんと、枕草子の第二百五十二段の「人のうわさをすることに」だよね。
へー、そんな題名だったのぉ?
アオネちゃん予習も何もしてないもんね!
ちょっとぉー、先生に聞かれたらどうすんのよぉー。
ここの感想は簡単には一言に集約される。熊くんも言っていたゲスいという奴だ。
現代のOLが書いたならそれだけでもいいが、注目すべきは千年前の女性が書いたということだ。
本当に昔から考えることは、新しい概念が生まれる他には何一つ変わりはしないのだ。
ごめん、感想簡単に言っちゃうね。
「千年前と今に通じるゲスさに、なんだか人の本質を見つけてしまいそうです。」
「古典にはこんなことも書いてあるんだなと思いました。」
実際にはそんな事は書かない。
ハクト先生とは喧々諤々(けんけんがくがく)の枕草子論を交わすことになるだろう。
中山中さん、意外とかーらーいー!
でもぉ、そうよねー、意外と枕草子って面白いカモー?
昔の私であれば、ここで何何本の何段がオススメだとか、手に入れやすいのはこれだとか言っちゃうのだろう。
あれは全部読もうとすると眠くなってかなわんとかも言っちゃうのだろう。
でも言わない。私は成長したのだ。
コンちゃんって、なんというか古典にカジュアルだよねー。慣れ親しんでるっていうか。
お父さんがそっち系の研究者だからねー。
やだぁー! じゃあ中山中さんて、超インテリー!? 古典とかラクショーってことぉ?
あ、えっと、私、お父さんから話を小さい頃から聞かされてたから、それでなんとなく・・・。
が、学校のとは型が違うから、ちょっと学校のは難しいと言うか、何と言うか・・・。
あ、それ分かるよー。帰国子女の人も学校の英語に苦労するって言うよねー。
ってゆーことわぁ、
中山中さんてぇ、古典のキコクシジョなのぉ? すごぉーい! めっちゃ初耳ー!
・・・・・・。
・・・・・・。
そ、そんな感じかな・・・?
きーんこーんかーんこーん
うわっ、コンちゃん他の人の感想書かないと提出できないよ!
え、やばっ!
もぉ、中山中さんってホントに超天然系って感じー?
ほらほら早く写して!
もっと自分のやりたいことが、堂々とできるようになりたいな・・・。
おわり
ワークシート提出後
うわ、コンさん、またびっしり書いてきたなあ。
僕も負けないようにしないとな・・・。
今度こそ、おわり