私たちの生活は、いろんな人たちによって支えられている。
例えば新聞配達。新聞を購読している家々に深夜3時から配達に回っている。
今私がこうしてゴキブリを新聞で叩き殺せるのも、
パァーン!!
毎日配達してくれる新聞屋さんのおかげです。
例えばゴミ回収業者。毎日家庭から出たゴミを回収してくれる。
今私がこうして燃えないゴミの日に燃えるゴミを出しても、
キョロキョロ
ドサッ
ぜぃ・・・ぜぃ・・・
文句の一つも言わずに、ゴミを回収してくれます。
例えば水道局。彼らが毎日働いてくれてるおかげで、水道から水が出ます。しかも飲めます。
今私がこうして手にこびりついた血を洗えるのも、
オチロ・・・オチロ・・・オチロ・・・
水道局が管理してくれているからです。
例えば電気保安協会さん。私たちの家々に電気が届くのは彼らのおかげです。
今私がこうしてテレビを見られるのも、
あ、イヤホンが・・・
オオォーゥ!! イエェース!!ンフゥーン! イエスファッキn
ブチッ
彼らのおかげなのです。
私たちの生活は、見えないところで多くの人たちや業者さんによって支えられています。
でも、彼らは見下されている傾向があると、私は思います。
今の生活があるのは誰のおかげなのか。それを知らずに生活している人がほとんどなのです。
むしろ誇りのある仕事だと称えられるべきです。世界規模の商社なんかよりもずっと上の存在であるべきです。
車を買っても、道路が整備されていないと走れませんし、テレビを買っても電気が通らなければ見れません。
そのことをもう一度知るべきだと思います。
今の若い人たちには、人を支えようという気持ちが欠けています。
『常に自分が』という向上心は確かに大事です。大手企業に勤めて世界を引っ張る、大いに結構です。
ですが、それでもあなたは支えられているんです。そのことを忘れては、いつか必ず痛い目に遭うでしょう。
研修期間で―――言葉は大変悪いですが―――下っ端も同然の作業をさせられるのは、そういった支えている人材のことを知るためです。意味もなくやらせているわけではないのです。
支えている人材を評価できる人こそが、トップに立てるのです。
ですが、就職氷河期のわが国では、企業はもちろんそういった仕事につくこともままなりません。
そんな現状を見て、私はある決心をしました。
私が働かないことで、
私の代わりに誰か一人、職につける。
そして、
多くの人が、私を支えてくれることに幸せを感じるんです。
今日もせっせと働け社畜どもめ! サービス残業!? 雇ってもらえるだけありがたいと思いやがれ!
福利厚生ボーナス年2回なんて上辺だけの餌に釣られたお前が悪いんだー! ざまーみろー!
私の幸せがお前らの幸せなんだろー! だったら私が幸せになるためにどんどん働けー!
やっぱり『働いたら負けだと思う』は真理だな! うん!
~終劇~