“神は我等と偕に死す”

見返りを求める信心は悪よ

うん、今日の話は本人の経験も多分に含まれるだろうから興味深いよ

と、とにかく話を進めるわよ

こんな言葉があるわ

ひょっとしたらこの惑星に神さまはちゃんといるのかもしれない。それはもう完全無欠に立派で公平な人格者で、強い者にも弱い者にも、 お金持ちにも貧乏人にも、ただ平等に見守るだけで決してどちらか一方をえこひいきして手を差しのべるなんてことはしないのだ。 なんてありがたい神さまなんだろう。死んじゃえ。

信心に対する見返りを与えない神様なんていてもいなくても同じ、ということね

そうだね、最後の死んじゃえにも、その感情が現れてるね

果たして見返りを求める信心に意味なんてあるのかしら

そもそも、信仰や信頼に逃避以外の意味なんてないわ、きっと

なんか人間不信な感じのセリフだね

だいたい「信」の字自体が胡散臭いわ 「帰依」や「言明したこと突き通す」といった意味よ?

依存や思い込みと同じようなものよ

信に対してここまでマイナスな捉え方する人も珍しいよ

それに、見返りを前提とした夢や信頼、希望なんてものほど不純なものはないわ

そんな打算的な気持ちで何が得られようというのかしら

神や救世主、他人様に救ってもらおうなんて安易な考え方自体が不健全よ

信じるものは救われる、なんて言うけど、信じる相手と信じ方を考えないといけないわ

つまり無償であることが前提のアガペーやボランティア精神こそが正義ってことだね

……

あれ?なんか違った?

……正義がいつも正しいとは限らないわよね

悪だと言い放った本人が悪に染まってましたかー

B
e
f
p
q
r
s
K
O
Keyboard Shortcuts
  • J Next page
  • K Previous page
  • [ First page
  • ] Last page
  • E Enable/disable bubble animation
  • 0 Manual page turning
  • 1 Slow page turning
  • 2 Normal page turning
  • 3 Fast page turning
  • P Start/stop auto page turning
  • ? Show keyboard shortcuts
Play Again
More Stories
Posted at 2013/02/12 14:17 Viewed 13 times

Comments

Login to Write your comment